代表制をめぐる大胆な知的冒険
──早川誠『代表制という思想』によせて
宇野重規
(うの しげき・東京大学教授

風が吹くと風景が変わって見える。もちろん、順風ばかりではない。ときにはつむじ風、またあるときは強烈な向かい風が吹くかもしれない。それでも、風が吹くと、何かが動き出す。はたして、「選書〈風のビブリオ〉」は、知の世界にどのような変化を生み出すのだろうか。

本書『代表制という思想』は、「選書〈風のビブリオ〉」の第一弾である。シリーズの冒頭を飾るにふさわしく、その内容はポレーミークに満ち満ちている。例えば、代表制とは、直接民主主主義が規模の点から難しいことから採用された、いわば代替物であるという説明がある。国が一定のサイズを超えると、もはや全員で集まることはできない。その代わりとして取り入れられたのが、代表制であるいうわけである。世に流布したこの「通説」に対し、著者は敢然と立ち向かう。代表制とは代替物でない、代表制は、それ自体として採用されるべき理由があるのだ、と。

もちろん、著者は世に溢れる代表制批判を否定するわけではない。「自分たちの声は、本当に代表されているのか」、「代表者は有権者の思いを逸脱して行動しているのではないのか」。誰もが一度は抱く、このような思いこそが、本書の出発点にある。とはいえ、だからといって、代表制を否定し、直接民主制に回帰すれば、問題は解決されるのだろうか。著者はそう問い直す。

そもそも、代表されるべき「民意」なるものが、本当に一義的に存在するのだろうか。本書はむしろ、人々の意見が多様であり、相互に対立しているという、ある意味であたり前の事実から再出発する。それも、かつてであれば、階級をはじめとして、良きにつけ悪しきにつけ、人々を集団としてまとめあげた社会的なつながりがあったのに対し、現在では人々の思いはますます個別化し、断片化している。その意味で、ますます多様になる人々の声は、そのままではけっして一つの「民意」とはならない。代表制とは、このような人々の複数の声を何とかつなぎ合わせ、一つのビジョンへとまとめていくための仕組みに他ならないと著者は説く。

問題はその先である。本書はその終盤に向けて、ついに次のように断言するに至る。「代表制の特質は、そして代表制の意義は、直接民主制と比較して民意を反映しないことにあるのであり、民意を反映しないことによって民主主義を活性化させることにあるのである」(一九四頁、強調点は原文)。これは驚くべき言明である。代表制の意義は民意を反映しないことにあり、さらに言えば、民意を反映しないことによって民主主義を活性化させることにある、というのであるから。何という逆説であろうか─!

このような逆説に反発を感じる人は、ぜひ本書を手に取ってほしい。間違いないのは、著者がこのような逆説を単なる思いつきや、ある種の警句として口にしているわけではない、ということだ。

著者はいう。そもそも、代表というのは、最初からきわめて先鋭な両義性を踏めている。というのも、代表とはもちろん、代表する者が代表される者の意見をなるべく忠実に再現することを期待されているが、同時に、もし代表する者が代表される者の意見に完全に拘束され、一切の自由を許されていないとすれば、そもそも代表として判断したり、発言したりすることもできなくなる。古くは、エドマンド・バークがブリストル演説で語った主題であるが、著者は、ハンナ・ピトキンの古典的研究から、ベルナール・マナンやナディア・ウルビナティらの近年までの研究を渉猟することで、実に分厚い議論を展開している。

著者の結論はこうである。代表制の本質は、代表する者と代表される者とが一体でありつつ、切り離されているという二重性にこそある。代表する者は代表される者があってこその存在であり、さらにつねに代表される者によってチェックされ続けなければならない。が、同時に、民意が多様かつ流動的である以上、いったんはそれと切り離された形で政治的議論が活性化される必要がある。その上でさらに、多様な直接民主制的な政治活動と結びつけていくべきであるという本書の示す代表制の構想は、複雑であり、壮大である。

世の中、現実の代表制のあり方に絶望するあまり直接民主制にのみ可能性を求める人がいるかと思えば、それに反発するあまり、議会の外の声に一切耳を貸さないことを良いとする人もいる。著者は、その両者の間に立って、丁寧に、忍耐強く議論を展開していく。それはまさに、政治的思考の醍醐味である。

とはいえ、本書はけっしてただ抽象的で、理論的な著作ではない。たしかにこの本で議論されている内容の理論的水準は高いが、著者はこれをあるときは小泉純一郎論や橋下徹論へと結びつけ、またあるときはマニフェスト政治や民主党論と接続する。本書がまず、首相公選論から話を始めているのが何よりも象徴的である。何百年と続いている理論的な話が、実にアクチュアルな現実政治と不可分であることを示してくれるのも、本書の大きな魅力である。

代表制と熟議民主主義論との関係も興味深い。議会内はもちろん、市民社会における熟議の積み重ねこそが代表制を支えるという意味で、両者にはたしかに相互補完的関係がある。とはいえ、熟議民主主義もまた、すべての市民が集まって議論をするわけにはいかない以上、代表制の問題を免れないという指摘は挑戦的である。

さらに、代表制に秘められた「混合政体」的な要素など、今後ますます論じられてしかるべきテーマも多い。シュミットやシュンペーターについての鮮やかな読みと合わせ、読みどころが多い一冊である。この本を契機に、単に技術的にとどまらない、思想的なふくらみをもつ代表制論が活発化することを期待している 。


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