現代環境思想の新たな展開に向けて
丸山正次著『環境政治理論』によせて
尾関 周二 
(おぜき しゅうじ 東京農工大学・大学院共生科学技術研究院教授)

 よく知られているように、かつて一九六七年にリン・ホワイトが「エコロジー危機の歴史的起源」と題する論文で、当時深刻さを増す環境問題に対して、自然科学的アプローチよりも思想的アプローチが決定的だとして、「エコロジーに関してなすべきことは、人間と自然との関係について私たちがどう“考える”かについて依存している」と主張した。そして、今日の環境問題の背景には、キリスト教に由来する自然支配の思想があり、キリスト教に責任があると言ったために大きな論争になった。それも触発の一因となり、次第に環境をめぐる思想的議論が活発化していき、アルネ・ネスの「ディープエコロジー」が現われ、「環境倫理学」などを中心に「自然の権利」「自然の固有の価値」が語られ、人間中心主義と自然中心主義の対立が議論を主導してきたといってもよいと思われる。日本ではおもに加藤尚武の『環境倫理学のすすめ』がこの新たな倫理学の登場を簡潔に紹介し大きな影響力をもった。
筆者もまた、こういった流れのなかで、ちょうど一〇年前に何人かの哲学研究者の協力を得て、『環境哲学の探求』、それに続いて『エコフィロソフィーの現在』という本を編集して出版した。当時は、「環境倫理学」という言葉はかなり流布していたが、「環境哲学」という言葉はほとんど使用されていなかったので、幾分新奇な感じをもたれたようである。
こういった環境・エコロジーをめぐる哲学思想は、社会学、政治学、経済学、教育学など種々の分野への関心を深めていくとともに、逆にそれらの分野での環境・エコロジーをめぐる学問的営為における思想的深まりが進展していくにつれ、それらが合流しつつ、今日、「環境思想」という学際的な性格の学問分野が成立しつつあるといえる。筆者も現在「環境思想・教育研究会」という集まりを若い研究者とともに立ち上げて、定期的な講演会などをもって種々の分野の研究者の参加とともに新たな学問の探究をしている。
最近発刊された丸山正次の『環境政治理論』は、これまで述べてきた環境思想の流れに関して政治学分野でのはじめての本格的展開といいうるものである。環境・エコロジーに関わる「政治理論」に関して非常に原理的な哲学的議論のレベルから広範な環境政治理論の諸潮流にわたってその検討を行っている。その範囲は、エコマルクス主義からエコロジー的近代化論、エコフェミニズム等々といった相当広範囲にわたって、最近の代表的な議論を国際的に渉猟しながら紹介、検討している。そしてまた、印象的なのは、特定の理論・学説に対して偏見なく、種々の立場を丁寧に検討してその積極面と問題点を指摘していく丸山の姿勢には読者は好感をもつであろう。そして、ともすれば、広範囲な最新の流派の紹介にとどまりがちなものが多い中で、丸山のこの本は決してそれにとどまらず、彼の長く暖めてきた「環境政治理論」の構想を世に問うものでもある。
この点に関していえば、丸山は、環境問題は、政治理論、さらには社会科学に対して、従来にない方法論的課題を突きつけていることを主張し、これについて日本ではあまり知られていないが、英国では一潮流をなす「批判的実在論」の議論を援用して、彼なりにこの原理的問いかけに答えようとしている。この点は、おそらく哲学関係者にも相当刺激的であろう。
丸山によれば、従来、社会科学は自然科学と質的に異なる対象世界をもち、方法においても自然科学との異質性が意識されていたが、環境問題の登場はこの事態を大きく変えたのである。丸山は、守るべき「自然」「環境」とは何かという問いかけにかかわって、社会学における二つのアプローチ、つまり「実在論」と「社会的構築主義」の違いにふれる。周知のように、社会学をはじめ社会科学では一般的に、「実在論」は不人気で何らかの「構成主義」に人気があるが、丸山は、社会構築主義のメリットを認めつつも、環境問題にアプローチする社会科学には、独断的でない実在論が不可欠で、その点で「批判的実在論」は、「実在論」を基礎におきながらも自然にすべてを還元せずに、人間社会の歴史性や理念的性格を取り込もうとする点で、実在論を基礎にしつつ両者の統合をめざす理論を提供しているとする。丸山のこの視点は、今後環境思想を一層本格的に展開していく上で、われわれの留意すべきものとなろう。
丸山のこの本の「エコフェミニズム」に関して書かれた章も読み応えのあるものであるが、これは上述の批判的実在論の議論とちょうど補完関係にあるものである。この本が前半と後半がそれぞれ「基礎編」と「応用編」と称されているのは、おそらく前半の核が批判的実在論の議論であり、後半の核がエコフェミニズムの議論だからだと思われる。
エコフェミニズムは、女性支配と自然破壊は相互に補強しあうという視点を主張するものであるが、その代表の一人メァリー・メラーが強調するようにエコフェミニズムが関心を寄せるものは「社会的に構成された関係と物質的な実在との関係」であるが、それはまさに批判的実在論の理論的関心の焦点でもあるからである。従って、丸山はエコフェミニズムのさまざまな立場を紹介しつつ、こういった視点から特に「脱構築的エコフェミニズム」と「社会主義エコフェミニズム」に焦点をあてて、詳細な検討を行っている。
また、「エコロジー的近代化」論という日本ではほとんど知られていないが、欧米では環境政治理論の主流ともなりつつある理論の紹介も興味深いものがある。二〇世紀の七〇年代以降、市場経済がいかに環境破壊的であるか、ということが語られるようになってきたが、それに対するアンチテーゼとして、八〇年代以降、市場経済と環境保護とを両立させようとする理論として「エコロジー的近代化」論が台頭してきたとして、これについてその種々の形態の紹介を含めてその積極面と問題点を詳細に検討している。
ソ連・東欧の旧「マルクス主義」が崩壊して以降、マルクス思想や実在論が不人気となり、ポストモダニズム、社会構築主義が人文社会科学の常識になりつつある感もあるが、丸山のこの本は、環境思想と批判的実在論との結びつきの必要性を説得的に語ることによって一石を投じ、環境思想の新たな展開に知的刺激を与えうる本ではないかと思う。



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