丸山によって丸山をこえる
今井弘道著『丸山眞男研究序説
──「弁証法的な全体主義」から「八・一五革命説」へ』によせて
阿部 信行 
(あべ のぶゆき/法理学)

 (1) 私は丸山(一九一四−一九九六・八・一五)のよき読者ではない。法理学という視角から丸山の「方法」に関心をよせてきたにすぎない。

 (
2) 丸山の方法は、〈思想〉とはどういうものか、それをどう継承・研究するかに関わる。より具体的にいえば@思想とは、ある歴史社会を生きた人々ないし思想家が、特定の歴史的時間と社会的空間に於いてみいだした「問題(課題)」への「応答(処方箋)」としてつくりあげたもののことで、理論、イデオロギー・世界像、メガネ、観念・範疇・範疇装置、価値・価値規準などと力点やニュアンスを変えながら様々に言い換られる、A伝来・外来いずれの思想であれ思想を継承・輸入ないし研究するとは、そうする人が、もともとの〈思想−人−歴史社会的状況〉の三幅対を踏まえたうえで、自らの歴史社会的状況とそれが突きつけてくる課題に合わせて必要とあらば元の思想を〈読み替えること〉、〈翻訳することtranslate, trans-lege〉である。こういう力動的な丸山の方法には、プラグマティズムを髣髴とさせる所もあれば、思想史を問と答の対の連鎖と捉えるR・コリングウッドや、今日のいわゆるケンブリッジ学派に通ずる所もあろう。また丸山本人の言「再現芸術家としての〈演奏〉家」に示唆をうけて、彼の方法を人柄ともども音楽の視角から読み解こうとする書物も公刊されている。ところで私の場合は、ある時「ああ、丸山の方法は法解釈の方法と同じだ」と気づき、丸山の方法に開眼した。そこで以下では、丸山の方法を、法理学の一部門、法解釈方法論と比べてみたい。(なお解釈対象たる法も、ここでは頁数の都合上、歴史社会的営みpracticeと直結するコモンローや慣習法でもなく、議会制定法、わけても刑事法系をのぞくそれに絞って比較してみよう)

 思想をどう読むかと法律家が法文をどう読むかとは、似ているとはいえ全く同じというわけではない。例えば、ふつう法文解釈では作者の思想(立法者意思)が読者のよみとった思想(判事などの法適用者の意思)に優位させられるのに対し、丸山の方法論では作者と読者の間に優劣はない。その上、制定法解釈では、作者たる立法者の思想と読者たる判事の思想との同一性(度)いかんが、解釈と創造との区別として現れ、近代立憲国家の権力分立原則や民主的正統性との関連で大問題とされるのに対し、丸山では問題は意識されてはいるが余り重大視されない――ちなみに丸山は中国版論文集『福沢諭吉与日本近代化』(上海、一九九二)の序文で「現代中国は、福沢の〈思考方法〉を異なった文脈において読みかえることがどうしても必要です。福沢の思想の〈直訳〉でなくて〈意訳〉が大事なのであり、ある場合には、意訳をもこえた、福沢思想の〈再創造〉が要求されるかもしれない」という。このように、「思想的同一性(度)判断」の問題に丸山本人は頓着しない<思想を出来合いのものとみるな、生成プロセスにあるものとみ、その両義的な所をこそ大事にせよ。思想を金科玉条扱いするだけの公式主義と、思想無視の没批判的な現実追随しかしらぬ機会主義、この二形の「惑溺」に警戒せよと忠告するだけで満足した>。本人よりむしろ丸山の読者、それも「よき読者たち」の間で、熱のこもった論争がくりひろげられている。熱心さ転じて人格の相互否定にいたることもままあるのは周知のところであろう。だが「地下の丸山」はこうした事態をどう受け止めるだろうか。喜ばないはずだ。とはいえこの事態、丸山自身にも責任がないわけではない、と法解釈方法論からは言えそうである。理由は二つある。ひとつは、先述した「意訳の限界」問題に対する丸山本人の無執着(おそらく思想のプラグマティズム契機の重視ゆえのみならず、世界舞台の役者という人間観、無信仰の立場)にも関わるが、究極的には彼のあの禁欲、すなわち丸山のよき理解者たる松沢弘陽をして「躓きの石」と形容せしめた〈「人生全体の意義に対する終局的な問い」へのウエーバー的禁欲〉である。これは、法文というものが、立法目的を近隣の法文で併記されていたり、憲法(の基本原理)に終局し民法典はじめとする各種の部分的な法体系やそれらの総体、さらには法哲学(法理学の〈価値論〉部門)に照らしてその文意を多段階的に究めていけるものであるのとは、雲泥の差である。もう一つの理由は、思想をうみだした者の状況と、それを適用する者の状況との同一性(度)をどう判断するか、に関わる。この問題について、丸山は、法解釈方法論が判例法理・立法事実論・適用状況の類型化手法などを陸続と発展させてきたのとは対照的に、いたって安穏とした立場にいられたようにみえる。日本史上の転換期ないし危機の時代を、その歴史的過去性あるいは同時代の最明白な制度変化(主権所在の移動)のおかげで自明事として措定しえたからである。

 丸山が主張しえた〈日本における三度の「開国」チャンス(室町〜戦国、幕末〜維新、一九四五・八・一五敗戦の前後)〉のうち、彼自身は主に後二者につき洞察にとんだ数々の分析を現代の我々に残してくれたわけだが、〈現在〉は方法的安穏たりえた丸山の場合とはちがう。状況的同一性度の判断は困難をきわめる。例えば、ケンブリッジ学派のひとりJohn Dunn(1940−)は〈冷戦後の現在は「国民国家」危機の時代か〉という疑問と悪戦苦闘している[“Is there a comtemporary crisis of the nation state”, The History of Political Theory & other essays(CUP, 1996), ch.13]。そして状況的同一性度の判断が困難だということは更に、思想的同一性度判断も困難をきわめることをも意味するはずである。この二重の困難は、ましてや冷戦構造の遺産を残存させる東アジア圏ではいや増しとなるはずである。丸山の〈徂徠学〉〈福沢学〉や〈丸山自身の思想〉にもどっていえば、特に後二者の思想はその現在的有効性が試され、意訳の限界、再創造の必要性が、「短い二十世紀」後の現在、到来しているのかもしれないのである。

(3)
 このたび刊行された今井弘道の新著『丸山研究序説──「弁証法的全体主義」から「八・一五革命説」へ』は、まさにこの課題と格闘するものである。しかも本書は丸山の方法に徹底的に忠実である。丸山の方法が自家薬籠中のものとされている。ここでは、丸山の方法を強調しておきたい。というのも、本書の結論となる今井のテーゼは、シュミットから換骨奪胎し小林直樹から発展的に継承した範疇装置、すなわち「緊急権国家」(=非常時には法も権利・自由も棚上げにできる国家緊急権の発動を常態化し体制化させた国家)をレンズにして導き出された〈丸山の思想は緊急権国家体制の思想である〉というものであり、きわめて論争的であることから、やがてはじまる論争の参加者らに丸山の方法を論争の作法として推奨しておきたかったからである。


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