帝国の権力と国連の権威
M・イグナティエフ著『軽い帝国──ボスニア、コソボ、アフガニスタンにおける国家建設』によせて
星野俊也 
(ほしの としや 大阪大学大学院教授/国際政治)

 戦後イラクの情勢が混迷を極めるなかで「アメリカ帝国」が苦悩している。これは、アメリカの政策の中枢を担う当局者の、とくに新保守主義者(ネオ・コンサーバティブ)といわれる人々の明らかな誤算の結果だが、彼らはこの失敗から適切な教訓を学ぶことができるのだろうか。あるいは、アメリカは全体として軌道修正が可能なのだろうか。

 今回のイラクをめぐる政策に、いまや「唯一の超大国」となったアメリカの強さと弱さの両面が凝縮されているといっても過言ではない。そして、すべての発端は、九・一一事件というアメリカ本土での未曾有のテロであった。

 この衝撃的な事件をブッシュ政権は、自国に仕向けられた奇襲攻撃と捉え、対テロ戦争を宣言した。最初のアフガニスタン戦線での目的は、テロの首謀者とされるオサマ・ビンラディンとその組織アルカイダの掃討であり、同組織を保護していたイスラム原理主義のタリバン政権の打倒であった。次いで戦線はイラクに拡大され、大量破壊兵器疑惑のあるサダム・フセイン体制の崩壊(及びイラク・中東の民主化)が目指された。

 アメリカの強さは、こうした目的を打ち立てると、その達成に向けた行動を圧倒的な権力の行使によって、広い支持が得られなければ単独ででも、ほとんど一方的に実行できることである。だが、これは同時に、力を過信し、結果をナイーブなほどに楽観するという欠点と表裏一体である。事実、過去二年以上におよんでいる一連の軍事作戦においても、期待とは裏腹に、アメリカが身柄の確保を求めたビンラディンとフセイン元大統領の行方はいまだ知れず、フセイン政権の大量破壊兵器疑惑を裏付ける証拠は発見できず、戦後復興は滞りがちな上、イラク内外でさらにテロが続発する事態にも立ち至っている。

 こうしたアメリカの過誤を非難することはたやすい。単独行動・先制攻撃・体制変更といったオプションを国家安全保障戦略にまとめたアメリカを「帝国」になぞらえる議論が噴出し、その「傲慢さ」に反発する声も後を絶たない。帝国とは、他を凌駕する実力をもつことから原理的に相互主義を前提に考える必要のない存在である。その意味で、単極構造の国際システムの頂点に立ち、自らの選択で単独行動も容易にとりうるアメリカを帝国とみなすことは可能であり、しかも自由の大義を他国に強要するというパラドックスを言外ににじませるこのアナロジーにはパワフルな説得力がある。しかし、通常の「アメリカ=帝国」論を超え、この国の直面するジレンマの核心を「軽い帝国」という言葉に凝縮させたマイケル・イグナティエフの議論は卓越している。

 イグナティエフは、今日のアメリカの外交・安全保障政策上の問題とは、この超大国が事実として帝国的存在になっていることよりも、帝国としての地位と能力をあまりに「軽く」考えた行動パターンに関わるものだと鋭く斬り込んでいる。冷戦後の世界でアメリカは、地理的にも遠く離れた地域に介入を繰り返し、国家建設に携わる事業も何度か経験した。そして、それらが必要な帝国的介入であったとイグナティエフは明言する。ボスニアやコソボ、アフガニスタンがそうした例だったが、いまそこにイラクが加わると、アメリカはしばらく戸棚のなかで眠っていた「泥沼」という言葉を引っ張り出さなければならないほどの困難に直面しはじめた。これは「資金を投入し、結果を急ぎ、なるべく早く権限を移譲し、さっさと出て行こうとすることばかりに関心を集中」させる「軽い帝国」アプローチで対応した帰結であったともいえる。

 帝国とは本来、「重い」ものである。確かに権益は大きいかもしれないが、コストも大きなものが要求される。それを「軽く」運営できるということは、まさしくアメリカが強大な権力を保持していることをさす。しかし、いま、イラクで明らかになっているのは、世界最強の軍事力をもってしてもこれが万能でないという問題なのではないだろうか。では、そこに欠けているものは何なのか。

 国際政治を動かす力学には大きく分けて二つの系統があると考えられる。一つは、物質的な権力(power)の作用によるものであり、もう一つは、非物質的な権威(authority)の作用に基づくものである。

 前者は、現実主義・功利主義の見方に依拠し、権力──より具体的には利己的な権益(interest)の極大化を追求する行動様式である。これに対し後者は、国際社会を規律する公共の規範は諸主体間の相互作用のなかで間主観的に構成されるという社会構成主義の視点から、権威──その具体的なかたちは主体の行動を合法化する権限(authorization)である──の果たす役割に注目するものである。前者の立場が、さしあたりアメリカ帝国の権力に焦点をあてるのであれば、後者は、今日の世界で最も普遍的な国際機構としてルール形成の場となっている国連(特に安全保障理事会)の権威を重視する。

 国際社会の安定──当面のイラク情勢との関連でいえば、早期の復興とテロの撲滅の二つの目標がある──のためには、アメリカの権力と国連の権威の双方が不可欠である。帝国の権力、しかも「軽い」認識の一方的な介入、のみでは達成できない正統性の限界が戦後イラクに展開するアメリカ軍の苦悩の元凶といえる。他方で、国連安保理ではイラク問題で常任理事国のそれぞれが足並みの乱れをまとめようとせず、自らの権威に対する信頼を傷つけたことも事実であった。こうしたなか、帝国の権力と国連の権威の両立が改めて急務になっているといえよう。そして、もう一つ、見落としてはならない根本的な視点が、地元イラクの人々の真の幸福である。

 アメリカが国連の権威に基づく戦後復興へと軌道修正を図り、それによって他の理事国を含む多くの国々がアメリカへの反目を乗り越え、現地のニーズに応えた国家再建に国際社会として共同で取り組むことこそが、混迷から抜け出すための最も有益なステップになることだろう。



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