カール・シュミットと反ユダヤ主義
  ──竹島博之『カール・シュミットの政治──「近代」への反逆』によせて
佐野 誠 
(さの まこと 奈良教育大学教授)

竹島博之『カール・シュミットの政治──「近代」への反逆』が刊行された。竹島氏の博士論文であり、力作である。初期の『政治的ロマン主義』(一九一九年)、ヴァイマール期の政治的秩序構想、ナチズム期の『トマス・ホッブズの国家論におけるリヴァイアサン』(一九三八年)、『リヴァイアサン』をめぐるシュミットとシュトラウスの思想史的葛藤、そして戦後の『大地のノモス』(一九五〇年)とラウム理論等を、「近代批判」という視角から分析することによって、シュミットの思想的根源性が提出されている。そこには「オポチュニスト」シュミットという一面的な思想像は存在しない。シュミットの近代への反逆も、シュミットが一貫して法や政治の根源的基礎を探求しようとした論理的帰結とされる。日本は、シュミットの訳書の数では世界一である。にもかかわらず、本格的な研究書の数はいまだ少ない。その意味でも、この著作が一人でも多くの方々に読まれることを期待してやまない。以下では、現在のシュミット研究の話題の一つとなっているシュミットの反ユダヤ主義的思考について、著者が提起した思想的根源性という観点からいくつかの論点を提供しておこう。

シュミットの反ユダヤ主義的思考については、ナチスに迎合したものとか、一九三三年から三六年にかけての一時的現象であり普遍的な価値はないなどといった論調が八〇年代末までの主流であった。しかし、一九九一年にシュミットの『グロッサリウム』が出版されるや、従来の論調に修正が迫られることになる。それは、ナチス崩壊後の一九四七年から五一年にかけて日記形式で書かれた『グロッサリウム』に、シュミットのユダヤ人憎悪が明確に、かつ露骨な形で記されていたからである。この『グロッサリウム』の出版を機に、ナチズム期の一時的な現象と考えられてきたシュミットの反ユダヤ主義的思考を再考する試みが、シュミット研究者の間で活発になってゆくのである。

反ユダヤ主義は、理念型的に見れば、近代以前からの宗教的反ユダヤ主義と近代以降の人種的反ユダヤ主義とに分類することができる。シュミットの反ユダヤ主義的思考が普遍的・根源的という場合には、とくに宗教的反ユダヤ主義が強調されることになる。シュミットの宗教的反ユダヤ主義の主たる要因としては、以下の三点が重要である。第一は、ユダヤ教におけるキリスト教の原罪の否定である。シュミットは『政治的なものの概念』で、政治的なものの基準を友・敵概念に求め、具体的実存的な公敵の存在を政治に普遍的な現象と見なす。この公敵の存在の根底には、シュミットの人間観、すなわちキリスト教の原罪の存在がある。原罪とは、創世記のアダム(人)が神に禁じられた善悪を知る木の実を食べたために人間に罪が入り、この罪はイエス=キリストを信じない限り、救済されえないことを意味する。この原罪の観念は、五世紀にアウグスティヌスが、原罪を認めないペラギウスとの論争のなかで神学化したもので、ユダヤ教にはない。シュミットは原罪=人間の本性悪を認めないユダヤ人には政治的なものの概念も、国家の概念も理解できないと考えるのである。フロイトは『人間モーセと一神教』(一九三九年)のなかで原罪こそが、長年にわたりキリスト教徒がユダヤ人を迫害してきた無意識的な要素であったとしているが、カトリック教徒であるシュミットにも少なからずこのことは妥当する。

第二は、ユダヤ教におけるイエス=キリストの否定である。シュミットは『政治神学』のなかで、「イエスはキリスト(救世主)なり」という形而上学的真理をも討論に解消してしまう自由主義を徹底的に批判する。シュミットの念頭にはユダヤ人ケルゼンの『民主主義の本質と価値』の末尾、すなわち「ヨハネによる福音書」一八章に関する記述がある。ケルゼンは価値相対主義の立場から、絶対的真理が存在しない限り、「イエスを赦すか、バラバを赦すか」というローマ総督ピラトの問いに対して、絶対的な解答はないと言う。それに対して「イエスはキリストなり」を<絶対的に>確信するシュミットにとっては、このようなケルゼンの主張は自由主義的主張の最たるもので、自由主義こそユダヤ人の特許物とまで考えるのである。ユダヤ教徒はイエスを神の子・キリストと見なさず、歓呼賛同によってイエスを十字架に架けてしまったからである。著者が取り上げる自由主義批判の書『トマス・ホッブズの国家論におけるリヴァイアサン』も、ユダヤ人憎悪の書と言ってもよいほど、自由主義がユダヤ人に由来することを強調している。シュミットは、思想信条の自由や政教分離という観念を担い推進していった人物が、スピノザやメンデルスゾーン、さらにはシュタールらのユダヤ系自由主義者たちであり、彼らによって巨大なリヴァイアサン、すなわち「キリスト教国家」の崩壊が成就したと考えるのである。

第三は、民族的プロテスタンティズムの影響、とくにヴィルヘルム・シュターペルの民族ノモスからの影響である。シュミットはナチスへの入党前後に、ナチスに迎合し、ユダヤ人キリスト者を排斥したプロテスタントの「ドイツ的キリスト者」や、民族ノモスの主唱者でルター主義者・反ユダヤ主義者のシュターペルらとの交流を深めている。著者は触れてはいないが、シュミットのノモス概念の形成には、シュターペルの影響が決定的である。シュミットは、シュターペルの『キリスト教的政治家』(一九三二年)で記述された民族ノモスを具体的秩序の概念に適用する。シュターペルはノモスを各民族に固有なものとし、ユダヤ人のノモスとドイツ人のノモスとを徹底的に対立させるのである。ユダヤ人のノモスは、トーラーあるいは『旧約聖書』の律法と同義であり、ドイツ人のノモスは中世ドイツにおけるライヒの権威主義的・階統的な構造を範型とする。このドイツ人のノモスをシュミットはナチスの具体的秩序に転用し、民族排他的思考を形成するのである。戦後の『大地のノモス』のなかでユダヤ教の律法とキリスト教の福音をシュミットは敵対的に捉えているが、これもナチズム期に表面化した神学的対立に対応するものである。シュミットとシュターペルの影響関係は、両者間に残された書簡から明らかとなったもので、今後の資料の発掘によっては、シュミットの知られざる新たな一面が出てくるだろう。シュミットの生涯は九六年である。シュミット研究者はとてつもない<膨大な資料>の前に立たされて、悪戦苦闘しているというのが現状である。



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