政治神学・民主制・憲法裁判
  ──E・-W・ベッケンフェルデの国法学理論をめぐって
 宇都宮 純一 
(うつのみや じゅんいち 愛媛大学法文学部教授)

 一九九八年一〇月、ドイツ・カッセル美術館秘蔵のコレクションによる展覧会「レンブラントと巨匠たちの時代展」に赴き、日本初公開される「横顔のサスキア」に相見えた。レンブラントのサスキア像は、以前エルミタージュ美術館所蔵の華麗な姿に出会っているが、今回のサスキアは、清楚な中にも豪華・絢爛さを身につけたものであった。カッセル美術館の生みの親は、一八世紀の彼の地の領主、ヘッセン・カッセル方伯ヴィルヘルム八世といわれ、同美術館は、レンブラント・コレクションをはじめとしてハルス、ルーベンスなどオランダ・フランドルの巨匠の傑作も所蔵する。 一九三〇年九月一九日、ドイツのちょうど中央に位置する人口約二〇万の古都カッセルにフライブルク大学教授E・-W・ベッケンフェルデは生まれている。思えば日本でも馴染みの深いこの国法学者、元連邦憲法裁判所裁判官には、今日に至るまでその著作を通じて多くの教えを受け、その(憲)法理論を大いに参照させてもらってきた。私が最初にベッケンフェルデの法理論に接したのは、栗城壽夫教授や藤田宙靖教授の論稿を通じてであり、それは彼が国家と社会の二元的対立論に関する論議において、このような二元主義の維持の必要性を力説するものであった。以下、この小論では近時のベッケンフェルデの新聞寄稿記事を中心にして彼の国法学理論の傾向を瞥見したい。

 周知のようにドイツの公法学の学問的傾向をカール・シュミットの流れを汲むシュミット・シューレとルドルフ・スメントの流れを汲むスメント・シューレの二つの傾向に分類して理解することが一般的であり、ベッケンフェルデは、シュミット・シューレに属する有力な公法学者と把握されてきた。近時カール・シュミットの立場と理念をめぐる論議はドイツや日本においてばかりでなく、国際的規模で広がっているように見える。ドイツの新聞論調を見るとシュミットの著作に取り組む様式と視座は、一九八五年の彼の死以来、劇的に変化しつつ、その国際的作用、影響たるやマックス・ヴェーバーのそれを凌駕し始めているとすら言われる。今日シュミットの著作が幅広く取り上げられるのはベッケンフェルデの分析によれば、シュミットがヴァイマル時代及び一九四五年以降取り扱い、議論したテーマが新たな現実性を獲得しているからである。すなわち、国家性の問題あるいは政治的統一の形成と存立の問題がそれで、この現実性は、特にドイツそしてヨーロッパの他の諸国並びにヨーロッパ一般が受け入れた政治的発展の反映と理解される。このような状況をもってベッケンフェルデは、シュミットが実際に一人の「古典的な学者(Klassiker)」となっている証左と看る。そこには少なからぬ研究者が、特にナショナリストないし国家主義者としてのシュミットという視座から、彼の国家及び憲法理論の分野の著作を、リベラリズムの精神的及び政治的基礎の根本的批判と把握しているという状況分析が下地となっている。シュミットにとってリベラリズムは本当に政治的統一及び国家による統一形成の基礎を解体するものと理解されるのか、今少し掘り下げて検討したいテーマである。が、ベッケンフェルデが最も注目するのは、シュミットの政治神学であり、これをシュミットの著作における透視図の消尽点(Fluchtpunkt)として位置付ける。シュミットの政治神学あるいは政治神学者としてのシュミットをめぐる論議は現在も進行中であり、彼が反キリストの諸勢力に対する救い主なのかを問うコンスタンツ大学教授ベルント・リュータースの議論をはじめとして活発に論じられている。少なくともベッケンフェルデにとってこの論議は、カール・シュミットおよび彼の著作を解き明かす手掛かりをつかみ、並びにそれを支えてきた根本的基礎を解明するための鍵を握るもので、その際、政治神学者という暗号が有効性を発揮するのである。

 一方、ベッケンフェルデは民主制の理論的探究にも精力的に取り組んできているが、その成果は彼の論文集『国家・憲法・民主制』に収められている。それは国家形態および統治形態としての民主制原理を論じるものであるが、ここではベッケンフェルデが民主制と人権との関係をどのように捉えているかについて触れておきたい。ベッケンフェルデの見るところ人権はリベラル・デモクラシーの中に一つの政治的形式を見出し、その形式は人間性の理念と政策との調和を保証するとの思考が流布しており、そこで民主制は人権の必然的な要求であり、また、人権の実際的な妥当にとって必然的な前提条件であるという理解が支配的である。果たして人権と民主制が共に一つの全体を成し、相互に制約も受けているのか。この点はベッケンフェルデにとって批判的吟味を必要とするのである。

 右の人権と民主制の一体性の観念は、人権をめぐる法哲学的論議においても、また政治的ないし政策的な人権の具体化さらには国家(共同体)及びその構成員たる個々人の干渉といった人権の無視をめぐる論議においても常に問題として立てられているとされる。前者の法哲学的論議にあっては、人権の基礎付け及び性格が問題とされ、人権がメタ実定的に、すなわち人間の理性あるいは人間の性質及び規定から普遍的に妥当するものとして基礎付けることができるのか、それとも実定的にのみ、すなわち現行の広範な政治的コンセンサスから基礎付けることができるのかが問われる。議論は一八世紀の人権宣言やカントの批判哲学にまで遡る。ベッケンフェルデが注目するのは次の二つの点である。すなわち一つは、人権宣言が人間の譲渡できない権利の承認と並んで政治的支配への参加を要求しつつ、選挙権つまり政治的参加の第一義的権利をすべての市民ではなく、「能動市民」にのみ与えることを認め、そのことと財産や自立性等と結び付けることを矛盾のないものと看倣していたということであり、他の一つは、カントが人権と政治的参加権の法律上の区別(必然的な結び付きではないという意味での)を明確に基礎付けていたということである。周知のように人権はあらゆる人間にその人間存在の故に帰属する権利と看倣され、その性格付けの如何に拘わらず普遍的な妥当要求と結び付いてきたと言える。こうした普遍性の要求は人権のパトスを作り出すものと理解される。そしてベッケンフェルデの理解によれば、このような妥当要求は社会的及び文化的条件、歴史的及び政治的情勢、性、人種、宗教そして教育状態に左右されない。今ここで人権と民主制が相互に結び付けられるとすれば、つまり民主制が人権の必然的要求であるということは、民主制も人権と同様に普遍的に実現されなければならないことを意味する。しかし民主制は普遍的に実現されるのであろうか。ベッケンフェルデの回答は否である。というのは、国家及び統治形態としての民主制は、国家支配の一定の組織形態であり、それは人民の自己決定及び自己統治の形態として現れる。この国家的、政治的支配の組織形態としての民主制は、普遍的に、つまり人間が共同生活し、その共同生活が組織されなければならない処ならば至る所で常に具体化されうるものではないからである。民主制の生存能力、作用能力は一連の社会文化的、政治構造的及び倫理的前提条件に依存するのであり、このように民主制が右の前提条件に拘束されているということは、民主制を普遍的な政治的秩序原理として宣言することを許さないのである。ベッケンフェルデにとって平等、自由な選挙権やそれに基づく民主的な意思形成構造による一般的な政治参加は、人間の尊厳や人権から流出するものとしてカテゴリカルに且つ普遍的に要求されるものではなく、無条件の民主制の普遍的導入の要求は、むしろ逆に人権の妥当を危険にさらす可能性すらある。しかもこのことは、人権と民主制の必然的結合関係を支持する人々の意図にも反することである。人権の承認は確かに民主制に通じている。しかし、それは先験ではなく、経験知である。

 さて、前記のごとくベッケンフェルデは一九八三年一二月二〇日から一九九六年五月三日まで一二年間連邦憲法裁判所第二部会の裁判官であった。法律(連邦憲法裁判所法四条)の規定に従って退職するに際して彼は二つの論議に関心を示している。一つは同裁判所第一部会が下した所謂十字架判決に端を発する持続的な論議であり、今一つは同裁判所の過重負担の問題をめぐる論議である。右のうち前者については政治における裁判官の謙抑的態度及び同僚の好誼からベッケンフェルデは発言を控えているが、後者の問題については、これを直接的且つ切迫した危険としての「虚脱」が迫っているという認識のもとに積極的にコミットしている。

 連邦憲法裁判所に係属する事件が年々増加の一途を辿り、特に憲法訴願の受理件数が急増し、過重負担となったため、一九五六年以来、立法者と裁判所との間のコンセンサスを形成しつつ、それを軽減する努力が重ねられてきた。そして今次一九九七年ドイツ連邦司法省に設置された連邦憲法裁判所負担軽減委員会は、同年一二月連邦司法大臣に最終報告を提出し、その根本的改革としてアメリカ合衆国最高裁判所の手続、すなわち裁量上訴(サーシオレイライ)を手本とした憲法訴願のための受理手続の導入を提案した。そしてベッケンフェルデは、この提案に係る手続を必要とされる負担軽減を調達し、裁判所の仕事を再びその本質的な任務に集中させるのに適したものとして支持したのである。改革の骨子は、憲法訴願の受理に関する決定は裁判官による訴願の意義の評価に基づいて下されるというものである。この最終報告の提案には反対論や異なる内容の改革案も提案されているが、こうした異論に対してベッケンフェルデは、それらが提示する論拠は確固たる論拠とは言い難いと批判し、それに対抗する論陣を張っている。ここではこれについて深く論及することはできないが、ただ、彼がこの受理手続の「コスト」を論じる中で、憲法訴願の法的性格に触れている部分についてだけ言及しておきたい。

 右にいう「コスト」の主要なものは、客観法的な機能のために憲法訴願の個人権保護の性格すなわち主観法的側面が後退するという点にあり、この点は反対論が強く主張する点でもある。しかしベッケンフェルデの理解では、憲法訴願は基本権のために裁判所の保護を獲得する唯一且つ主たる手段ではなく、それは拡張された権利保護体系に支えられているのである。すなわち訴えを提起されたドイツのあらゆる裁判所は基本権に拘束され、争訟に基本権が関係する場合にはそれが重んじられるようにする義務を負う。そして補充性の原則により法的手段の消尽がそれに先行することが要求されることによって憲法訴願の機能は、その主観法的性格にも拘わらず、既にほとんど排他的に専門裁判所を、その裁判の憲法適合性の点でコントロールするという点にある。このベッケンフェルデの憲法訴願の法的性格の理解には勿論異論がありうるであろうが、彼の理解は憲法裁判所それ自体の理解、民主的立憲国家における憲法裁判所の責任、同裁判所に対する信頼の評価と密接に結び付いていると考えられる。また、憲法訴願は、それが主観法的性格を有するとの法意識の中にしっかりと固定され、それによって基本権保障において高い信望を獲得してきたこと、それを作り上げたのが他ならぬ憲法裁判所の憲法訴願手続を通じての機能であったことは事実であろう。けれども、さまざまの問題を抱える憲法訴願制度について、裁判所、公衆、(法律改正、憲法改正を視野に入れた)立法者がこの問題に真剣に取り組んでいくことがベッケンフェルデにとっては重要なことで、結論の行方はともかく、そのための討論のきっかけを作る意図で憲法訴願制度の機能を問い直す彼の姿勢には一種共感すら覚える。「虚脱」が迫っているのは、ひとりドイツの連邦憲法裁判所だけではなく、日本の裁判所もこの危機感を共有すべきであろう。ベッケンフェルデが注意を喚起している問題は決して対岸の火事ではない。



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