安 世舟
(やす せいしゅう 大東文化大学法学部教授)
本書の邦訳を通読して妙に懐かしさを感じた。その理由は何だろうかと考えてみた。すぐ思い浮かぶのは次の二つである。一つは、約三五、六年前にヘラー『国家学』(邦訳は一九七一年に未来社より刊行された)の邦訳に苦闘していた時、当時、ヘラーの著作は写真版で昭和二六年にみすず書房から刊行された『国家学』の他は東大法学部図書館と国会図書館しかなく、本書の原書の入手は極めて困難であったために、やむを得ず国会図書館に幾日も通いつめて本書の原書を読んだ時の興奮である。と同時に、同書にはラテン語の法律学の格言や命題が随所に散りばめられていて、その読解に苦闘した思い出である。同書の邦訳が遅れた最大の原因の一つもこのラテン語の多用のためではなかったろうかと愚考している。邦訳は訳文も法哲学ないしは国家学の著作としての格調の高い日本語に移し替えられているばかりでなく、ラテン語も、原書を読む人が強いられた苦闘を想起させる痕跡もないぐらい見事な日本語に変わっており、ラテン語に苦闘した体験を持つ私にとって、邦訳を手にする読者が羨ましい限りである。もう一つ懐かしさを感じた点はその内容である。本書には、『国家学』の中で展開される国家と法の関係についてのヘラーの主張が粗削りながら展開されているからである。
ヘラーは本書刊行の一年前の一九二六年に発表した論文「国家学の危機」の中で、本来近代国家現象の総体的研究を目指す広義の政治学がドイツでは自由主義的市民階級の政治的去勢化と共に政治的なるものをその研究対象から排除し、ついに実証主義的国法学へと退化して行ったそれまでのドイツ国家学の展開を批判して、ワイマール共和国の政治的危機は「国家学の危機」という形で現象しているので、現実の政治的危機の克服のためにも「国家学の危機」の克服が必要であるという認識の下に、イエリネクによって国法学と国家の社会学に二面的に分裂させられている「一般国家学」を、上からは「国家の哲学的正当化論」を、下からは政治的行為の社会的条件の経験社会学を組み入れて本来の政治学の姿に復元させるべきであると主張した(邦訳〔今井弘道他編訳『国家学の危機』風行社刊所収〕、三四頁。同じ主張は本書の邦訳の一二六頁にもある)。そしてこの主張を実現したのがその後のヘラーの著作活動であったと言っても過言ではないのである。ヘラーはまず本書で、国家と法の関係は無関係に分離されているのではなく、弁証法的な共属関係にあると捉え直すことによって、国法学と国家の社会学の再結合の試みを果たし、それを土台にして遺著『国家学』では上と下から上記のことを組み込む作業を果たそうとしたのであった。
顧みるなら、一九二五年二月社会民主党党首であったエーベルト大統領の急逝後に実施された選挙でヒンデンブルク元帥がワイマール共和国二代大統領に当選し、しぶとく生き残った旧帝政の国家機構の中核部分の軍部と官僚装置は同大統領を通じて下からの人民投票的正当性を獲得し、上から民主主義を利用して民主主義を形骸化させ、大統領権限の強化を通じての共和国の権威主義的国家への再編を試みるようになった。こうして憲法の有権的解釈によって権威主義国家確立の道が切り開かれたのである。この道を国家学界において代弁したのが言うまでもなくカール・シュミットであった。これに対して、ヘラーはドイツの市民階級がその実現にしり込みしていた自由主義を実質的に強化・発展させ、それを土台にして民主主義の政治的領域のみならず、社会・経済領域への拡大を目指す「社会的法治国家」論を議会制民主主義の安定・強化を通じて実現しようとする政治的主張を展開していた。従ってヘラーは一九二五年以降、社会民主主義的労働者階級を国民へと成熟させる成人教育運動の実践活動から離れて、憲法解釈の方向を左右する国法学界に身を置いて、共和国擁護の戦いを継続するようになったのである。その最初の学問的著作が本書であった。この点はいくら強調してもし過ぎることはなかろう。ヘラーは本書の中で、政治的に去勢化された市民階級の経済・社会的要求を反映した実証主義的国法学、とりわけその遺言執行人であるケルゼンの純粋法学が国家を「観念的な規範統一体」つまり法秩序とみなし、さらに法秩序は段階構造をなし、その最上位にある規範が「根本規範」であると主張して、議会において表明されている国民の圧倒的多数の勤労階級の「一般意思」を脱人格化させている点を批判し、「一般意思」の具体化、すなわち「意思権力」の決断によって「一般意思」の具体化された法規が法(実定法)である点を挙げ、国家はシュミットが言うように「決断統一体」の側面を有すると、シュミットの決断主義的国家論を一面において支持しながら、国家はそれに尽きるのではなく、他面、国家を構成する人民の業績連関から成る「活動統一体」であるので、「意思権力」の決定はシュミットが言うような規範(つまり憲法)の拘束を受けないのではなく、文化圏の制約を受けるが、人民が共有している人間の共同生活に不可欠な「倫理的法原則」を体現している「一般意思」の具体化であるので、時の「意思権力」は「一般意思」の拘束下にあるという自説を展開した。その際、ヘラーはヘーゲルの国家主権論をルソーの「一般意思」論でろ過させて、それを民主主義的国家の主権論に転釈した後、「一般意思」を体現する近代国家は、「一般意思」が主権的であるように、当然、主権的であり、それは実定法を作り出し、場合によっては、内外の環境変化に対応してその自己存続を図り、「倫理的法原則」を新しい状況において貫徹させるために、既存の実定法を破ることさえあえて行なうこともある点を指摘し、主権を次のように定義した。「主権とは普遍的で領土的な決断・活動統一体の特性であり、それ故に主権は法のために、場合によっては法に反しても絶対的に自己主張する。」(筆者訳。本書一五二頁)こうして、ヘラーは、本書で、国家とは「<主権的な>決断・活動統一体」であるという国家論を展開した。この主張はヒンデンブルク大統領を元首とする現実のドイツ国家の絶対化の弁証論として、彼の恩師であり友人であり、かつまた社会民主党の同志でもあったラートブルフから批判された。邦訳の五五頁から五六頁にかけての論述を見るなら、ヘラーはシュミットの大統領独裁を論拠づけようとした「委任独裁と主権独裁」の主張を批判の俎上に上げ、憲法第四八条を見ても大統領の「独裁権」を取り消すことの出来るのは議会であるので、議会こそが大統領の上位にあり、議会に代表される国民の「一般意思」こそが主権的であると明確に主張している。この部分がヘラーの友人らにも理解されず、誤解を招くことになったのであろう。ともあれ、こうした誤解を招くことになったが、本書によって、ヘラーは、ドイツ国家学界においてシュミット、ケルゼン、スメントと並ぶ国家学者としての名声を博し、社会民主主義者やユダヤ人には門戸を固く閉ざしていた大学教授職に就くことになり、共和国擁護の最後の決戦となった「パーペン・クーデター」を巡る憲法裁判でシュミットを相手に憲法擁護の弁論を「国事裁判所」(憲法最高裁判所)で展開できることになったのである。しかしこの戦いに敗れて亡命の道に上り、一九三三年の秋、ヘラーは本書の誤解を解くべく、遺著となった『国家学』では、プレンゲの組織論を受容して、国家を「<組織された>決断・活動統一体」として捉え直して、友人らの誤解を解こうとしたが、共和国の崩壊、それに続く亡命、そして『国家学』執筆の心労がもととなって四二歳の若さで急逝した。ドイツのデモクラシーのためのみならず、世界の政治学の発展のためにも惜しい人材を失ったと言えよう。
なお、本書には、将来ヨーロッパ連邦国家を視野に置いた国際法における主権の問題についても論究しており、この部分は本邦最初の紹介である。その点において邦訳の意義は大きいと言えよう。さらに、邦訳には、有り難いことに、ヘラー著作集の編者であり、ヘラー研究の世界的な権威者でもあるベルリン自由大学のクリストフ・ミュラー名誉教授の本書の日本語版序文――その分量は邦訳書の三分の一に当たる――が付いており、ヘラー研究の最新の成果が紹介されているばかりでなく、その今日的意義までも指摘されており、何もないところから四〇年前にヘラー研究に志した者としては、邦訳を手にする読者が羨ましい限りである。
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