理論的明晰と緻密な文献実証との結合
  ──シュルフター氏の学風と人柄
 折原 浩 
(東京大学教授)

シュルフター氏の学問的業績の全容については、氏に直接師事し、この著作集の翻訳にも携わる優秀なお弟子さんたちにお任せし、筆者は、自分の狭い専門的研究と交友から知りえた、氏の学風と人柄の一端に触れて、責を塞ぎたい。
 筆者が初めてヴォルフガング・シュルフターの名を知ったのは、出版目録を見て発注した著書『西洋合理主義の成立』(副題は多分『マックス・ヴェーバーの社会史Gesellschaftsgeschichteの分析』となっていて、当時は「社会史」ばやりだったので記憶に残った)が、J・C・B・モール(パウル・ジーベック)社から研究室に届き、ちょうどそのころ、ハイデルベルク大学客員教授の任を終えて帰国した同僚の谷嶋喬四郎氏が、その本を手にとって「この人がどうやらハイデルベルクの正教授に迎えられるらしい。若くて優秀な理論家で、『儒教と道教』をゼミのテキストに使うようだ」と語ったときだったと思う。
 その著書には、題目から関心に触れる新刊書が届いたときにいつもするように、ひととおり目を通し、「必要あれば後日精読」という範疇の書棚に納めてしまった。じっさいに再読したのは、一九九二年の暮だった。一九九三年三月末の日独ヴェーバー研究者会議(於ミュンヘン)に参加した後、一年間ハイデルベルクに滞在する予定でいて、招聘してくれるシュルフター氏の主著を再読しておかなければ、という事情にあった。このときには幸い、嘉目克彦氏の翻訳が出ていたので、やはりいつものように、原書を傍らに置いて邦訳を読んだ。この方式をとると、ばあいによっては、訳文にひっかかって原書をたびたび参照し、そのうち、これでは原書だけで読んでいったほうが早いと判断して、邦訳は放り出してしまうこともあるのだが、嘉目氏の翻訳は、忠実かつ的確で、ほとんど原書を参照せず、著者の論理を追跡することができた。
 さて、筆者が専門的関心から精読したのは、むしろ、『ケルン社会学・社会心理学雑誌』に発表された論文「マックス・ヴェーバーの宗教社会学」(一九八四年、後に論文集『宗教と生活営為Religion und Lebensführung』第二巻に収録)である。そこで、シュルフターは、ヴェーバー著作の主題的統一と作品史にかんするフリートリヒ・H・テンブルックの解釈(「マックス・ヴェーバーの業績」、「『経済と社会』との訣別」など、一九七〇年代半ばの論文で展開されていた)を、一面では才気煥発で鋭利な問題提起として高く評価しながら、他面ではそれが(おそらくはユルゲン・ハーバーマスを念頭において)唯一の正統説として襲用される傾向に危惧の念を表明しつつ、明快な批判を加えている。かれの批判の眼目は、『経済と社会』をヴェーバーの主著と見るヴィンケルマンと、『宗教社会学論集』とりわけ「世界宗教の経済倫理」「序論」「中間考察」および『論集』『序言』に後期ヴェーバーの研究成果が集約されていると解し、『経済と社会』を「請負仕事」と見なすテンブルックとを、いわばヴェーバーの「主著」をめぐる同位対立として位置づけ、『経済と社会』と「世界宗教の経済倫理」とを「分業関係」にあるものとして捉え返す方向で、両者を止揚するところにあった。しかし、この点には、かつて論及し、他日再論する機会もあろう。
 いまここに特筆したいのは、シュルフターが、そうした批判の一環として、テンブルック説のひとつの系(すなわち、「ヴェーバーの宗教社会学は「中間考察」を書き上げた時点で基本的には完結していたから、『世界宗教の経済倫理』シリーズのうち、すでに書き上げられ、発表された『古代ユダヤ教』以後の研究計画は放棄されていた」とする見地)に加えた批判の、「文献実証的な厳密さ」である。シュルフターは、出版社の広告や年報といった「テキスト外在的」証拠のみでなく、「序論」と「中間考察」のテキストを、初版(一九一五)と改訂版(一九二〇)について詳細に比較し、文言の削除・変更・追加から、その執筆者がゾロアスター教・古キリスト教・イスラム教・などにかんする研究計画を堅持している事実を、見事に立証していた(具体的な論証内容については、拙著『マックス・ウェーバー基礎研究序説』、一九八八年、未来社、二六一−六二頁、注七七、参照)。私見によれば、理論的な明晰さや鋭さに加え、こうした「愚直なまでの手堅さ・緻密さ」をそなえていることが、学問研究、珠にヴェーバー研究に必要な資質であるが、シュルフターは、両者を兼ね備えている数少ない研究者のひとりである。
 さて、筆者は、一九八六年の来日を機に、シュルフター氏と交流関係に入り、上記の論点についても、「「後に見るとおり」、古キリスト教にとっては、あらゆる貴族的主知主義と対決し、これと闘うことこそ、根本的に重要なことであった」(「ヒンドゥー教と仏教」初版第三部、一九一七年、六八七頁、注一)というような(ヴェーバーが「中間考察」のあとでも古キリスト教にかんする研究・執筆を意図していた事実を裏付け、シュルフター説を補強する)「テキスト内在的」証拠を引用した論考を、独訳して送ったりした。ところが、その後に会うと、そうした一致点には一言も触れず、むしろ不一致点に猛然と食い下がってきたのには、ちょっとびっくりした。ところが、よく話しているうちに、ヴェーバー解釈、珠に『経済と社会』の構成・再構成にかんして、筆者との間に大幅な見解の一致があることはちゃんと了解した上で、あえてザッハリヒに対立点を押し出してきていることが分かった。「この点については見解が一致するから、簡単に済ませられる」というのが、かれの口癖らしい。とかく一致点を強調して「和を保つ」ことを優先させるわが国の学者との、文化の差であろう。
 話は変わるが、ドイツでは、夕食ばかりか昼食にも、ビールを勧められた。「ドイツにきてビールを飲まないお客さんなんて……」といわんばかりである。ところが、ハイデルベルク滞在中に、シュルフター氏から昼食に誘われてレストランで歓談したさい、かれはミネラル・ウォーターを注文して、ビールは飲まない。午後の仕事に差し支えるということらしい。しかし、まったく酒を嗜まないのかというと、そうでもなく、ミュンヘン会議の折りには、嘉目氏や米沢和彦氏など、かつてのお弟子さんたちと連れ立って、ホーフブロイに繰り出していった。どれほど痛飲したかは、不覚にも聞きそこなった。論文の読後感からは、切れ過ぎて付き合いにくい人柄と想像されがちであるが、口頭の議論にはユーモアもあり、いったん仕事を離れると、どうしてどうして気さくな感じにもなる。来日中、始終付き添って、講演後の氏とのやりとりに、「少々図式的ein bischen schematisch」などといっても、微笑みながら耳を傾けてくれた夫人は、美しく奥ゆかしいドイツ婦人である。
 さて、筆者には、将来に向けて、ひとつの期待がある。周知のとおり、目下『ヴェーバー全集』が順次刊行されているが、今後最大の難関は『経済と社会』該当巻の新編纂であろう。現在、宗教社会学章、法社会学章など、分冊刊行に向けての編纂が進行しているが、それらが出揃ったところで、<全体の構成>にかんする「補巻」が編集され、刊行されると聞く。さて、誰がその編集責任者になるか。今後出てくるであろう若い人はおくとして、現存のドイツ学界の陣容を見るかぎり、その任に耐えられる学者は、私見によればシュルフター氏以外にはいない。しかも、シュルフター氏がハイデルベルク大学社会学科主任教授の雑用から解放され、その仕事に専念できるという条件がつく。筆者も、現在進行中の二部作(『ヴェーバー〈経済と社会〉の再構成──トルソの頭』および『同──トルソから全体像へ』)を独訳して、そのとき前面に出てくるであろう、ドイツ学界に温存されているエースと、ザッハリヒな論戦を交えたい。故テンブルックが望んだとおり、そうした公開論争をとおして初めて、問題の「補巻」も、マリアンネ・ヴェーバーとヨハンネス・ヴィンケルマンによる二度の誤編纂の轍を踏むことなく、原著者の意図と構想どおりに編集され、『ヴェーバー全集』の完結を祝うことができるだろうからである。 
(一九九五年一一月二五日記)



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